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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和44年(う)141号 判決

被告人 扇殿英良

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人の控訴趣意書、同補充書、同補充図面説明付録書及び弁護人田中幹則の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。

弁護人並びに被告人の控訴趣意中事実誤認の主張について

所論は要するに、被告人の取得した黒崎重光(以下単に黒崎と称する)所有の本件現金及び自動車運転免許証等の在中する免許証入(以下単に免許証入と称する)は、多数人の出入する風呂場内の床上に落下しており、黒崎において数時間その存在を失念していたものである等の状況に照らすと占有離脱物に当るというべきであり、これを取得した被告人の所為は占有離脱物横領罪を構成することがあつても窃盗罪を構成するいわれがないのに、免許証入は本件風呂場の管理者斉藤啓太郎(以下単に斉藤と称する)の占有下にあつたとして、被告人に対し窃盗罪を適用した原判決は事実を誤認したものであるから破棄を免れないというにある。

よつて審案するに、たとえ所有者において物の存在を一時失念していたとしても、その物に対する支配力を推及するに相当な場所的時間的範囲内にあり、且つ所有者の支配意思が明確にみとめられるものは占有を離脱したものとはいえない。これを本件についてみるに、原判決挙示の証拠を綜合すると黒崎が免許証入れを置いた本件風呂場は、一般公衆の出入りに供していない斉藤班専用の敷地内に建てられ、四囲、天井等は板等で、出入口は扉を以つて外界と区画した建造物で、斉藤の管理下にあり、これに出入するものは同一敷地内にある飯場に居住している同班々員等僅か一〇名以内の特定者であつて、黒崎は同班員の一人として同飯場内に居住し、その附属建物である本件風呂場を日常使用し、いわばこれをその住居の一部の如くしていたものであり、同人は同風呂場に免許証を置き忘れたまま右飯場寝室に帰つて就寝していたが、数時間後に免許証入れを置いて来たことに気付き、これを取りに行つたものであることが認められる、一方、黒崎は免許証入を本件風呂場の柱とベニヤ板の間で容易に落下し得ない場所に、落下しない様に差し挾んでいたものであり、被告人が風呂場に入室するまでには奈良谷数子が足を洗うために立入つた以外に入室した者は全くなく、同女は入室した際に床上に免許証入が落下しているのを認めていないことが窺えることに徴すると、免許証入は床上に落下しておらず、被告人は黒崎が差し挾んだままになつていたものを取得したと推認するのが相当であり(床上に落ちていた免許証入を取得したという被告人の主張は、その供述がその他の点において多数の前後矛盾が認められることに照らし容易に措信できない)、これ等の状況を綜合すれば、免許証入に対する黒崎の占有は明らかに継続していたというべきであり、仮りにこれが被告人主張の通り床上に落下していたとしても、その場所は黒崎の差し挾んだ場所の直下附近であるというのであるから、同人において容易に発見出来る場所であり、前叙の場所的時間的状況と相俟つて免許証入は未だ黒崎の占有を離れていないと認めるのが相当である。仮りに更に一歩を譲つて免許証入が落下していたことにより黒崎の占有から離脱したとの見解が成り立つとしても前記証拠によつて認められる如く本件風呂場は元来公衆一般の出入に供していない建造物であり斉藤において、これを排他的に支配していたのであるから、斉藤においてそのなかにある個々の物の存在を認識していなくとも、これを事実的に支配していると認めるのが相当であり、未だ同風呂場内にあつた免許証入は少くとも斉藤の占有下にあつたというべきである。

そうであるとすれば免許証入は何れの角度からみても人の占有下にあつたものというべきであつて、占有離脱物とは認められず、他に右認定を覆すに足りる信用すべき証拠は存しない。

従つて、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとはいえず、論旨は採用できない。

弁護人並びに被告人の控訴趣意中量刑不当の主張について、

所論は要するに被告人に対し懲役二年の実刑を言渡した原判決の量刑は重きに失し不当であるというにある。

よつて審案するに、証拠によつて認められる本件犯行の動機、態様、被告人の経歴、性格、前科等、ことに被告人は窃盗等の前科一〇犯を重ねているものであると共に、本件についても被害者や雇主に対し不満を表明するのみで、自らを反省する気配が認められない等の諸事情にこれを徴すると、原判決の量刑は相当であり、所論のうち肯認できる諸事情を被告人の利益に斟酌しても、尚これが重きに失するものとは認められない。論旨は採用できない。

よつて本件控訴はその理由がないので刑訴法三九六条に則りこれを棄却することとし当審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

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